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(1)知財を志して

『ある知財マンの思い』

(1)知財を志して

 私が化学会社に入社したのは1974年4月であった。大学では化学を専門として学んできたので、企業に入社後は研究者か生産現場の技術者としてやっていくのだろうと漠然と考えていた。入社して本社で短い研修後、生産現場において三交代での研修が約3カ月間行われ、その間に配属先を決めるための面接が行われた。今思うと、この研修期間というものは、責任を問われるようなこともなく、なんとなく自由な気がして、夜勤明けに立ち飲み酒屋で一杯飲のんでから、社員寮に帰るという生活を楽しんだものである。

 私は今後どういう仕事で生きていくべきなのか悩んでいた。研究者か技術者かという漠然とした気持ちはあったが、是非そうしたいというものではなかった。

 そんな中で、本社で行われた研修の中でのあることが気になっていた。それは、本社の各部の部長が新入社員に対して行った講演の中で、特許部(現在の知的財産部)の部長である五月女さんという方が話された特許業務についての話である。あとから聞いたのであるが、五月女さんという方は、特許の業界では有名な方で、化学企業で初めて特許部という組織を作った人であると聞いた。

 特許というものは、技術で生きていく企業にとって非常に重要なものらしく、またグローバルな視点を持たないといけないというような話が妙に頭に残ったのである。私は漠然とであるが、私の進むべき道はこれではないかと思ったのである。

 現場での研修期間中に提出したレポートにこのことを書いたところ、現場の特許部門の方から早速連絡が有り、特許の仕事について詳しい説明をしていただいた。その内容は全く理解できなかったが、自分が進むべき道はこれだという思いで、配属面接で私の希望を申し上げたのである。そうすると面接官は大変驚いた様子で、いきなり特許部に行くのではなく、まずは研究とか現場の経験をしてからでも遅くはないと言われたのである。面接は何回もあり、私は希望を変えることをしなかった。なぜかと言われてもわからないが、相当強硬に主張したようである。

 結局私の希望は認められ、特許部に配属となったのである。よくわかりもしない世界に自ら希望して飛び込んでしまった。これを一生の仕事とすると宣言したようなものだが、はたしてやっていけるだろうか。決めた以上優秀な特許マンになりたいと思った。優秀な特許マンというものが一体どういうものなのかもわからないのに。



長谷川曉司氏 プロフィール

1949年 愛知県生まれ。
1972年 大阪大学工学部応用化学科卒業。
1974年 東京工業大学大学院化学工学修士課程修了。同年、三菱化成(現・三菱化学)入社。
1977年 弁理士資格取得。
1986~91年 三菱化成・米国法人駐在員としてニューヨークに駐在。
2003年 知的財産部長に就任、特許戦略の考え方および方法論を確立して実行する。
2009年6月 三菱化学退職
2009年9月 長谷川知財戦略コンサルティング設立

経営の中での【事業に勝つための特許戦略とは何か】を誰にでもわかりやすく解説、実践することを旨とする。

『ある知財マンの思い』

『御社の特許戦略がダメな理由』(中経出版)の著者である、長谷川曉司氏のコラムを連載します。
長谷川氏とは縁あって出版のお手伝いをさせていただき、DTPは弊社デザイン・制作部で行いました。長谷川氏は、知的財産コンサルタントとして、講演など、幅広く活躍されていました。

長谷川曉司氏は、平成23 年に逝去されました。謹んでご冥福をお祈りいたします。

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